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第44話  —Viking Olov Bjoerk教授— 【part1】

~Viking Olov Bjoerk 教授 (スエーデン)~

 

ヨーロッパでの私の3人の心臓外科医の友人をご紹介しよう。3人とも世界的に有名な方である。

 

先ず最初はスェーデンの Viking Olov Bjoerk に登場して頂こう。

(ビジョルクと読む人が多いが、ビヨルクと発音する人もいる)

 

私がヨーロッパに初めて行ったのは、1967年の初夏である。NewYorkのAtlanticCityで第15回International Cardiovascular Societyの学会を終え、2、3日New Yorkの家内の親戚(M商事勤務)で世話になりNewYorkの空港から、SAS(Scandinavian Air Service)に乗ってStockform/SWEDENに向かった。機内は比較的空いていた。

そのため、スチュアーデス(当時はこう言っていた)のサービスも良く、お茶を配った後などは、私の座席の側に来て話をしてくれた。私はそこで、スエーデンの通貨や、ストックフォルムの空港からUppsalaのホテルまでのタクシーの時間や料金などを聞く事が出来た。

空港に着くと、私は教えてもらったように、先ず両替所に行って両替をした。その頃の1ドルは360円に換算されており、一般の日本人は1000ドルまで、医師は優遇処置として2000ドルまで旅行に持って行く事ができた。

 

※外国では親切そうなタクシー・ドライバーには注意しろ!!

 

両替が終わり、“よっこらしょ”と旅行鞄(当時は現在のように、旅行鞄に運搬用の滑車は付いていなかった)を持ち上げようとした時、ヒトの気配がして、その鞄を持ってくれた。見ると、白い制帽と白い制服のタクシー運転手であった。彼は「どこまで行くのですか?私がご案内します。」と、鞄を持って私の前を歩いて行った。

“外国では親切そうな運転手には注意しろ!ぼられる(法外な代金や賃銭を要求される)から。”と東京を立つ前に注意をされていた。

いまさら鞄を引ったくる訳にも行かず、私は彼の後を付いて行った。彼は白塗りの車の前に止まり、ドアを開けてくれた。中は清潔だったので、後ろの席に乗った。

車は快適に走った。街を外れると、スエーデンの美しい田舎の風景になった。それを眺めているうちに1時間近く経過していた。スチュワーデスの話では45分もすると、ウプサラのホテルに到着する筈だった。

それに、メーターを見ると、スチュアーデスから聞いた料金の3倍にもなっている。私は「“メーター”がスチュワーデスに聞いた料金の3倍にもなっている」と、少し大きな声で指摘した。

 

すると運転手は「メーターはここで止めます」と言ってメーターを止めた。実に慣れたものである。夜間料金のメーターにしてあったのだろう。メーターを止めると、殆どの客は、仕方なく文句をいわないのであろう。

その後2、3分でホテルに到着した。喧嘩をしても言葉が通じないので、メーターの料金を払った。東京で友人に注意されたことを、ヨーロッパ旅行の第1日目に経験した。怪我などしなかったのは上出来だったと自分を慰めた。

 

※ウプサラのホテル

ホテルは2階建ての、2、30室くらいの小さなホテルであった。フロントには中年の品のいいマダムが1人で取り仕切っていた。

私は来意を告げ、パスポートなどを手渡した。「00番の部屋です。ご案内します。」と旅行鞄を手押し車に積んだ。その時気が付いたらしく、「手紙が来ています。」と家内から手紙を渡してくれた。

00号室は10畳くらいのシングル・ベッドの清潔な部屋だった。鞄を開けて、スリッパを履いてから、手紙を開いた。懐かしい家内の文字だった。1歳になったばかりの長男と5歳の娘の日常のことが主だったが、家の空気を吸ったようで懐かしく、何度も手紙を読み直した。

夕食はまた一人だったが、無事にヨーロッパに着いたのを祝って、スエーデンの小瓶のビールで乾杯した。

 

※Bjoerk教授は、カロリンスカ大学にご栄転です!??

 

午前9時前にウプサラ大学の医学部の事務室に到着し、Prof.Bjoerkにお会いしたいと来意を告げた。女性の事務員は、気の毒そうに「先生は昨年の春Karolinska大学に栄転なさいました。」と私に告げた。私は少しがっかりしたが、「何か連絡をとる方法はありませんか?」と頼んでみた。しかし、彼女の返事は、「ここでは連絡は取れません」という、全く親切心のない返事だった。

 

仕方なくホテルに戻った。

 

フロントに寄ると、例のマダムは、私が余りに早く帰って来たのを不思議の思ったのか「お友達にはお会い出来ましたか?」と質ねた。私は「友人は、昨年春Karolinska大学に栄転されたそうで、お会い出来ず、連絡もしてもらえませんでした。」

「教授のお名前は?」  

「Bjoerk教授です。」

彼女はBjoerk、Bjoerkと口の中で何回か言って記憶を辿ってから、Bjoerk先生なら有名な方なので、お会いしてはいませんが、名前だけなら記憶しています。

何とかして探してみます。」と、電話帳で番号を探し、「ありました。」と喜びの声をあげて、電話を掛けてくれた。「運良くご在宅です。先生に代わります。」と電話を渡してくれた。

 

※私のことを全く忘れていたProf.Bjoerk

 

私はProf.Bjoerkと連絡が取れたので、“これで安心だ ”と嬉しくなり、私は名前と所属を名乗った。しかし、彼は私を知らないという。私の恩師の榊原仟先生の名前を出しても知らないという。日本では、東京大学の木本教授なら知っているが、他に知人は居ないとそっけない。

“木で鼻をくくる”ような返事だった。また、Dr.Kからドイツ語の手紙は着いていないかと聞いてもNOだった。

(Dr.Kは出発前に私のところに来て、Bjoerk先生には私から先生(私)の予定を手紙しておきますと親切に言ってくれた。帰国して確かめると“アッ!忘れました。”との返事だった。)

 

色々話を試みたが、Bjoerkの返事はNO、NOであった。

まさに“万策尽きた。”という感じだった。

その時、ふと、1昨年、彼ら(彼、夫人と母堂)3人が初めて日本に来た折、私と妻が彼ら3人を日光に案内したのを思い出した。そこで彼に一昨年の“日光旅行”を覚えていますかと尋ねてみた。すると、彼は“よく覚えている”という。私はそこで“あの時、私と妻があなた方を案内しました。その時の新井です。”と言うと、電話の向こうの彼の声色や言葉遣いや態度が明らかに変わった。それからはスムーズに意思疎通がとれるようになった。

 

彼との話をまとめると、

1、1週間、大学が休みなので、末娘を連れて、これから、あなたも知っている母親のところに5日間行きます。

2、ウプサラはその途中なので、1時間くらいのうちにホテルに着くので、あなたにお会いし、1時間くらい街を案内しましょう。

3、妻と、今相談したのですが、明朝x時xx分ウプサラ発の列車でストックホルムに来て下さい。改札口に向かう途中に赤いレインコートを着た妻が出迎えます。

4、末娘の部屋が空くので、あなたがローマに行くまでの4日間その部屋に泊まって下さい。』と、はじめの電話では考えられないような厚遇であった。

 

約1時間後に彼らはホテルに到着した。

北欧最古の大学であるウプサラ大学や、建設に165年以上かかり120メートルの3つの尖塔のある大聖堂を案内してもらった。内部は一歩足を踏み入れると天井が高く、ゴシック洋式の大聖堂は荘厳・繊細で美しさを極めている。神聖で荘厳な空気に圧倒される。ウプサラは建物の高さ制限が厳重で、どこに行っても大聖堂が見えるのが自慢らしい。1時間くらい案内してもらって彼と別れた。

 

※日光一日観光旅行

電話でなかなか私を思い出さなかったのに、“日光の観光旅行”の話をしたら、途端にProf.Bjoerkが私を思い出した。その旅行についてお話ししよう。

彼は彼の夫人と母堂を同伴して、初めて来日した。その翌日、女子医大・心研に来訪された。その頃、彼は自分で開発したBjoerk-Shiley弁(初期の弁で、可動部分の円板はDelin製、後にPylorite Carbon製となる)を持参していた。そこで、心研では手術のデモをしてもらった。

その翌日、彼らは日光の1日旅行を計画しており、私と家内が案内をする事になった。1日では少しきついスケジュールなので、東武線の浅草駅を8時前の列車で出発した。

その日は晴天で旅行日和見だった。スケジュールは彼と相談し、華厳の滝と東照宮に決めた。彼はキリスト教の新旧約聖書の小型版くらいの、分厚い英文の日本“旅行案内書”を持参しており、要所、要所で、案内書を彼の夫人と母堂に読んで、説明していた。

 

※華厳の滝

華厳の滝は男体山の噴火によってせき止められた中禅寺湖からの水の唯一の流出口で、落差は97メートル、一気に流れ落ちる水の素晴らしさは日本三名瀑の一つに数えられている。滝から落ちる水の量は平均3トンで、100トンになる時もあるという。

私は流れ落ちる水は“水”と言うより、柔らかな雲が集まったような、霧が凝集したような、羽布団の羽が一団となって、滝口から投げ出されるような感じでいつも見ている。

次いで、華厳の滝エレベーターで観瀑台に降りると、滝壺は正面間近に見え、風の流れによっては、滝の水しぶきが、かなり振りかかって来る。

彼らは、「スエーデンは高い山がないので、このような滝を見るのは初めてだ。滝の水の落下と水しぶきは素晴らしい。」と感激というか、感嘆していた。